映画が産声を上げてから一世紀余、スクリーンに映し出される世界のかたちは変化を遂げ続けている。
誕生のその時から映画は地球人の目を瞠らせてきたが、歴史や世界の動きや時の流れや風向きや、人々の興味や意志や考えや想像力を反映しながら様々な表現を生み出し、驚かせたり感動させたり、あるいは頭をひねらせたりしてきた。
イタリアでも、フォトジェニックな風土を舞台に繰り広げられる者たちの人間臭い物語に、映画は大いなる力を与えた。
市民の理想や自由への思いと希望が込められた闘いや挫折に目を向けて戦後の厳しい現実を描いたロッセリーニやデ・シーカのネオレアリズモ。その母胎から生まれ、思いのままに天賦の才を奮ってイタリア映画の黄金時代を築いた、本国では“聖なる怪物”と呼ばれるフェリーニら巨匠たち。その高い芸術性と対をなし、時に下品さもバカバカしさをも厭わない“笑い”を武器に、飽食化しつつある中産階級の何とも人間的な欠陥を奔放にえぐってみせたピエトランジェリのイタリア式喜劇。時代を捉える多様な視点や潮流、様式が生まれ、個性が際立つ映像作家の多くは、一人一ジャンルに匹敵するスタイルを編み出し続ける。
そして今、21世紀のイタリア映画はかつての巨匠たちと対峙する創造力をとり戻した。ガッローネ、ソレンティーノを筆頭に、気鋭の作家たちが観る者を新たな現実、新たな世界観へと誘う。
現在進行形の、新たな古典と呼べる彼らの作品と、今尚、色褪せるどころかかけがえのない記憶を甦らせ、時を経てさらにまばゆい輝きとともに浮かび上がる古典作品――誰しもが一度は心揺さぶられた名画に加え、これまで十分に顧みられることのなかった数知れぬ銘品があり、そんな掘り出し物との出会いも、この映画の旅のとっておきの魅力だ。そんな古今の傑作をともに観る時にきっと生まれるはずの脳内作用を楽しみにしよう。
岡本太郎(ライター・翻訳家)